第一章 第五話 語られぬ想いが、商いの品格を決める
第1章 第5話
若い頃、『海賊とよばれた男』を読んで心が震えた場面がある。
商いの武勇伝でも、経営判断の的確さでもない。
それは、主人公・国岡鐵造が、離縁した最初の妻のことを、晩年まで静かに想い続けていたという、たった数行の描写だった。
同じように、藤沢周平の『蝉しぐれ』にも心を打たれた場面がある。
文四郎とふくの、報われなかった想い。
その想いは行動に出るわけではない。言葉にされるわけでもない。
けれど、読み終えたあとも、ずっと胸の奥に残っている。
そういう「語られぬ想い」「報われぬまま続く情」というものが、
実は、人の生き方や商いの品格を決めるのではないかと思っている。
いま、木宮商店というかたちで商いをしていると、
時々、売上や効率や結果だけでは語り尽くせない出来事に出会う。
たとえば、誰にも気づかれないような小さな心遣いに、
何年も前の会話を覚えていてくださったお客様の言葉に、
ブランドが一度は失敗してしまった商品の改良に、
どこか“想いの余韻”のようなものが宿っていることがある。
語られなかったことには意味がある。
伝えきれなかった想いも、それがあるからこそ、
人は人を想い続け、関係を結び直し、何かを作り続けるのだろう。
僕はよく、「縁は切れても、根は切れない」と感じている。
人と人、出来事と出来事のあいだには、目には見えない“根”が張っている。
それは切れそうに見えても、どこかでつながり続けているのだと思う。
商いとは、そうした“想いの残像”を拾い上げて、
もう一度、誰かの手のひらにのせて届ける営みでもある。
たとえ報われなくても、意味がなくても、
それでも「想い続ける」ことにこそ、文化の種がある。
たとえば、木宮商店がひとつの服を扱うとき、
そこにはデザインや素材だけでなく、
作り手の時間、選んだ理由、通り過ぎた季節、
つまり「物語の余白」が折り込まれている。
それを、少しずつ、そっと手渡していく。
そんな商いがあってもいいのではないか。
いつかまた、ふくのことを思い出すように、
あの服、あの会話、あの空間が誰かの心に残ってくれたら。
それが、木宮商店という店が目指す“商いの品格”だと思っている。
●編集後記
この回は、どちらかというと“経営の話”ではありません。
けれど、僕にとっては商いのいちばん深いところ――「なぜやるのか」「どう在るのか」に触れる内容でした。
『海賊とよばれた男』や『蝉しぐれ』のように、
形にならなかった感情にも、時間が経つほどに“美しさ”が宿ると感じます。
「縁は切れても、根は切れない」。
この言葉は、商いや人生を続けていくうえで、僕自身を何度も救ってくれました。
誰かともう会えなくなっても、
何かが終わってしまっても、
心の奥でつながっている“根”がある。
そう信じて、今日もまた、そっと商いを続けています。